“前進する”

わたしが
ガラ系のケータイから
スマホに換えたのは2011年、震災直後です。

当時、わたしの年齢では、まだ誰もスマホを持っている人はいませんでした。

ボランティアとして入っていた宮城県七ヶ浜から東京に帰ってきた5月、わたしは意を決してスマホに換えています。

当時七ヶ浜のボランティアセンターには全国各地から1日に700人ほどの人が集まっており、ゲートボール場だった七ヶ浜の体育館には朝8時には実に人であふれかえっていました。
壁には大きな地図が貼られ、現在の被災情報が一目瞭然にわかるようにたくさんの書き込みがされていた。掲載された新聞の切り抜きも壁一面にありました。


船舶用語に
“前進する”と言う意味の英語があることを、その壁に貼られた新聞で知り、また、その意味の旗もあることを知る。そこには、復旧、復興にかける信念が書き出されていました。力強く。

七ヶ浜から約10日ぶりに帰ってきて、
新たに手にしたスマホの初アドレスを、わたしはその”前進する”という専門用語の言葉にし、そのあとに2011311と続けた。
今もそのアドレスは変わらない。


あれから
8年、あの日のことは忘れてはならない。尊い犠牲の元に今の復興と前進があることを忘れてはならない。


今日は静かに祈ります。


2019.3.11




24 件のコメント

  • 小野隆雄 より:
    悦子さん
    今日は七ヶ浜に来ています。
    ボランティアを始めるきっかけになったこの地に、久しぶりにやって来ました。

    初心忘れるべからず。
    これからも、忘れずに、伝え、続けていこうと思っています。
  • カラス より:
    押忍👊
    宮城のトムソーヤです👍

    悦ちゃん!
    震災から8年 宮城は土砂降りの雨です。
    当時は小学校の卒業式前だった息子も先月の誕生日(ドラム魂 矢野さんと同じ!)に20歳なり社会人として前進してます💪

    長渕家の支援やお力添えは充分わかっているつもりでしたが、毎年この日を気にかけてくれる事が何より嬉しいし、アドレスに設定されている事に‼️
    本当に感謝します。ありがとうございます😊

    昨日も石巻でお二人の詩画を見ながらコーヒーを飲んで、ママさんと語り合って来ました💖

    日々情熱! 共に前へ 生き続けましょう
    午後も「Stay Alive」のアルバムを聴いて仕事します
    💪😎👍
  • 清水 元博 より:
    改めて
    東日本大震災により、亡くなられた方に心からご冥福を
    お祈りすると共に、
    被災された方に心からお見舞いを申し上げます。。

    警察によって死亡が確認された方が 1万5,897名
    警察に届けが出ている行方不明の方が  2,533名
    震災関連死とみられる方(昨年9月末迄)3,701名

    これだけたくさんの方が被害に遭われ、この中に
    含まれなくても大切なものを失われた方も
    たくさんおられます。。

    「2533名」のうちの一人がお父様である方の記事を
    拝見しました。。
    「まだ父のことを思い出すだけでダメなときはダメ。
    でも、泣いちゃダメなんだって我慢する自分が
    いなくなればいいなって。」と。。

    大きな悲しみを前に、現実を受け止めきれない思いや
    自分だけが取り残されているような孤独感、
    乗り越えきれない複雑な思いに戸惑いながらも
    自分なりに前進しようとする姿が書かれていました。。

    なかなか現地へ向かう都合がつかず、やっと
    Stay Aliveのファイナルに参加するため
    家族で仙台へ向かい、大きく残る爪痕に
    ただただ茫然と立ちつくし涙したことを覚えています。。
    どんなに怖かっただろう。。
    どんなに苦しかっただろう。。

    その方の倍くらい生きてきた私でさえ、「遺骨のない墓」を
    受け入れることは容易ではありません。。
    受け入れられない思いがあっても、強くなれなくても、
    人は前進するしかない。。

    今も、これからも、悲しみや苦しみが消え去ることは
    きっとないけれど
    人生が大きな時計だとしたら、止まってしまった心の針を
    一秒でも先へ動かせる日が来ることを、
    ゆっくりでも前に歩き出せる力が持てることを、
    切に願います。。

    我が家では3月11日にも黙祷をしています。。
    静かに祈りながら
    これからも自分なりに出来ることを探して
    風化させないよう、律していこうと思います。。

    清水 元博
  • 大槌人 より:
    毎年3月11日は仕事が休みだったり日曜日だったりしていたのですが、今年は月曜日で平日なので仕事の予定でした。でも朝からの土砂降りで仕事は休みになり、家で犬達と震災から9年目を迎えました。
    あの日、私は1秒走り出すのが遅かったら津波に流されていました。また別の場所で息子が同じく命からがら津波から逃げておりました。あの日の事を思い出すだけでゾッとします。どんな線引きがあったのか分かりませんが私達は生き残る事ができました。
    3月11日はそんな事を思い出す日でもあります。
    今後も日本各地で災害が起きる可能性は高いと思うので、こんな日だからこそ大切なモノを守るためにも家族で話し合うのもいいかもしれないですね。
  • 井坪純子 より:
    あれから、八年。長いような、短いような。父親の死から。八年。今、まさに。あっというまです。悲しみも覚めることなく。65歳の父親が、苦しまないで、亡くなったことが。ささやかな父親のよりどころです。悦子さん。ありがとう。
  • あっちゃん より:
    悦姉さん、こんにちは(^^)
    今日は3.11 あれから8年になるんですね。

    うちは兵庫に住んでますが……あの日こっちまで揺れたのを
    覚えてます。

    あたしも阪神大震災を経験してるので……。
    今も地震があったりするとやっぱり怖いです。

    今日は心静かに……祈ります🙏🙏
  • 伊藤 恵子 より:
    悦子さん 私もあの日を忘れません。
    家人様の紅白で唄った『ひとつ』を見て涙が止まらず
    自衛隊の方 被災地への支援 復興への活動に感動し
    家人様のライブを見てみたいという想いから
    今があります。人は本当に感動すると自然と涙が溢れ出るのだと初めて感じさせられました
    がんばれ日本 がんばれ東北
    これからも忘れる事無く
    黙祷
  • 長渕ファミリーファン より:
    微力ですが被災地に少しでも笑顔が広がるように何かできればと思います。
  • 長渕ファミリーファン より:
    いまだに放射能デマまき散らして復興の妨害をする恥知らずな人たちがいます。
    絶対にデマを信じてはいけません。
  • 久保田恵美子 より:
    あれから8年ですね。
    埼玉も大きな揺れが何度もありとてもこわかったのを思い出します。

    10年前に亡くなった母はこの地震も数年前の大雪も知らないんだなと思ってます。


    震災後剛さんがやってたラジオを聞いてて、私より4つ上の剛さん。
    聞こえてくる、やさしいし、力強いし、たよりになるし、励みになるし、そんな声を聞きながら何かとても近い存在に思えてきました。
    たとえるなら母の実家のたよりになるいとこのような感じ。悦子さんはその奥さん。
    そんな感じでとても親しみを感じてます。

    これからもずっとそばにいてくださいね。

    同じ時代にほぼ同じ世代に生まれたことに感謝感謝です。
  • 八子茂樹 より:
    今日は静かに祈ります。
  • さきこ より:
    大阪なので、被災はしてないものですがあの日のテレビから流れたニュースに愕然とし、今でもその光景が忘れられません、甚大な被害をもたらした災害。涙がとまらなかったです
    心静かに黙祷します。学ぶべきことが沢山ありました。
    心を込めて祈ります。
  • ハピエル☆静岡県民 より:
    昨日の新聞で 
    8年ぶりにやっと妻に会えたという記事を目にして涙😭

    これからもずっと 祈り続けます🤲

    継続は力なり❗
  • 1人官女 より:
    震災から8年
    時は無情に過ぎて行き
    私にも何か出来ないか?!

    昨年から野蒜駅プラットフォームオンステージに参加
    そして、は3月10日に野蒜駅プラットフォームでミュージカルに参加しました。
    踊りなんて!
    この56年やった事ない!
    自己満足だと言う人もいたけれど!
    震災で多くの方が亡くなった事を覚えてて欲しかった!
    それでも、前に進むしかないのですね。
    明日の為に!
  • 富士の勝亦 より:
    先日、夜の報道番組で初めて『風の電話』が、
    あることを知りました。電話ボックスの中に
    電話線がつながっていない1つの電話。
    その電話機に、涙を浮かべながら今の思いを
    話しかける方々。。。
    本当に涙が出ました。
  • 最年少瑛二のママ より:
    悦子さんこんばんは。
    今一度…あの日の事を思い出し、追悼の意を込めて剛さんの復興支援ライブ「Stay-Aliv」のDVDを観ながら涙が止まりません…私も忘れない為に、メールアドレスに「stay-aliv」をずっーと使わせていただいています。
    あれから、8年…早いのでしょうか、遅いのでしょうか、それでも、前へ前へみんな一歩づつ進んでいるはずです!
    あの日私の腕の中で生後4ヶ月だった息子は、覚えてもいないし、何も知らないです…あれから8年というニュースを観て「こんな事あったんだ…こんなにたくさんの人が死んじゃったの?酷すぎる…ね」と…9歳になった息子はいいました…そうなんです、この子達へ教えていかなきゃいけないんですよね…たくさんの尊い命が失われ、たくさんの人が悲しみのどん底から這い上がってきたからこそ、今が、ある事を!!
    忘れられない…忘れてはいけない日…3.11
  • こマきネ じゅんこ より:
    前に進む🚶
    がんばります!
  • しょう より:
    あー…
    あれは最初56kgからやったんですか…
    なるほど…
    最初2Lペット8本で16kgのを作って
    で、同じことをやらかしてみようと思って
    灯油缶6個と丈夫なポールで100kg計作って
    40kgから始めて
    だいたい今半年かけて今日80kgいきました
    体重差もかなり影響しますが
    たしかに当時に56kgでしたら
    手前私達も20kg40kgから始めたゆえに
    まずパパ様はその頃体重の倍の重さを
    ほぼ達成されたわけなので
    60kg体型の方の100kg挑戦なので
    けっこう難しかったんじゃないかと想像いたします
    私もおよそ残り20kgの攻略を
    頭で考えております!!
    約目標100kgは
    やってみれば誰もが
    1度は達成してみたいキロ数ですね…
    100キロ指標を体験されてる方の体験談としても
    僕自身残すところあと20kgの勝負なので
    頑張っていきたいと思います!!
  • いちファンのK より:
    もう8年ですか。
    今年のこの日のニュースを見て、犠牲者やそのご家族のためにも、決して風化させてはいけないと改めて思いました。
  • クートン より:
    3月17日は悦子さんと一緒で私がママになった日です。
    息子は今日で6歳になりました。
    4月から小学1年生です😁
    元気すぎる息子に振り回されてばかりで大変ですが、産まれた日の感動を思い出して今日からまた頑張ります❗️
  • 高井邦克 より:
    私はつい最近、スマホに変えました。
    ずっと頑なに変えなかったのですが、ガラケーの友人2人に報告すると既に2人はスマホでした。
    私がラスト侍でした。(笑)
    自分のアドレスもわからないような、古い人間です。

    悦子さんのスマホのアドレス、忘れないように心に刻んだ想い、大事ですよね。
    今や私のまわりで震災のことを口にする人々が皆無になってきました。
    私は今日も小さなステージで、しあわせの涙を歌います。
    絶対に忘れてはいけないから。
  • りきちゃん より:
    こんばんは〰️💖
    悦子さん、何かあったのですかぁ…😓
    心配してますぅ😢
  • カラス より:
    押忍👊
    宮城のトムソーヤです👍

    悦ちゃん!
    剛さんの映画主演おめでとうございます🎉乾杯
    待ちに待った情報だけに、ファンは朝から大興奮ですよ💗
    しかも大工の棟梁とは‼️ 僕も社寺建築をしていたので、とても親近感があり楽しみです💪😎👍

    悦ちゃんも出演してくれたら嬉しいなぁ〜〜👍

    危険が伴う役だと思いますので、無事に完成する事を宮城から願ってます。

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