それは陽だまりの温かさを少しだけ感じさせる穏やかな春の午後だった。田園調布、花工房胡桃のアトリエで前田先生と私は二人で机に向かい、手には色とりどりの花たちが舞う。
それはいつものように。
その日の花材はチューリップ、アネモネ、スイートピー、ヒヤシンス、春の優しい香りが私達を包んでいた。
目の前の花を手に取り、工夫を凝らせながら、それを自分の定めた位置に射止めていく!
その日の難関はチューリップの長く伸びた茎を湾曲させながら桜の枝にワイヤーで止めていく事だった!
私の座っている向かいにもチューリップを満載したツル籠が天井からぶら下がっていた。
本当に穏やかな春を予感させる普通の陽だまりの午後だった。
数分後、身体に強い揺れを感じる。
それが地震だと気付くには時間はかからなかったが、その天井から吊るしたツル籠の揺れ幅の大きさは尋常ではなかった!
棚に陳列している数多くのガラス花器、花瓶、シリンダー、全ての物が強い振動に揺さぶられ、ぶつかって立てるガラス音が不気味で尋常ではなかった!
思わず机から立ち上がり両手で押さえ込む!
しかし二人が両手で押さえ込める数ではない!
そして異様な地響きとも取れる轟音を感じたように記憶している!瞬間!
次々と弾け出す水!倒れる花瓶!咄嗟に私はまだ倒れていない大きなガラス花器を倒して廻った!
地震という全くなす術が無い天の牙が歯を向いて襲いかかって来た瞬間だった!
忘れもしない、私の2011・3・11
この時点の私は、この後に次々と起きていく日本歴史上の大惨事を想像すべくもない!
いや、だれが予期出来たであろう!
以下は「それからの一年」の私の被災地との記録です。
2011・4・6
福島県須賀川市に4tトラック一杯の物資を自らの運転で届ける。
橋本市長さんが須賀川アリーナに案内して下さり、避難している警戒区域の方達のお話しを聞く。
4・7
深夜仙台市到着。
ホテルの部屋に到着後、震度6強の地震に襲われる。その想像を絶する強烈な揺れにホテルから 悲鳴があがる!停電!真っ暗な中、戸外に避難。全市が停電。交通網麻痺。仙台駅前はパトカー、救急車が赤い点滅と共にサイレンをならしパニックとなる。
翌朝やむなく東京に戻る。
4・15
岩手県山田町、大槌町に再びトラックで物資を搬入。
片道10時間。東北自動車道に残る沢山の亀裂、断裂が生々しい。初めて見る漁港町の被災の惨状に息が出来ない程の衝撃を受ける。
4・16
自衛隊慰問、宮城県立総合運動競技場と松島航空基地。
門をくぐると脚が震えた!東日本大震災における宮城県自衛隊の前線基地、総合運動競技場は全国各地から自衛隊員が集められ、行方不明者の捜索に異様なまでの緊迫感に包まれていた!
5・3~5・12
仙台市に宿泊先を構え七ヶ浜町にて10日間のボランティア活動を行なう。
~活動の内容~
・写真を含む遺失物の洗浄、展示
・個人宅の瓦礫、汚泥撤去
・七ヶ浜国際避難所、中央公民館の清掃
・ 多賀城自衛隊の方達と仮設住宅に日常生活物資を搬入
・仮設住宅への引越し、入居後の手伝い
・ フリーマーケットの実施
・スタジアムで行われたサッカー教室の駐車場誘導
名を伏せマスクのままボランティア活動をさせてもらった。この時に見た現地の人たちの力強さ、日本中から集まった善意の物資、海外からも来ているボランティアの人たちの心意気に直接触れ、この10日間で日本の津波災害におけるボランティア活動の多くの事を学んだ。
6・14
再び七ヶ浜ボランティアセンターを訪ねる。
主任の星真由美さんが元気に迎えてくれる。
6・15
石巻小学校の児童を訪ねる。NHK SONGS日和山公園収録。
雨の中の子供達の元気いっぱいの歌声は多くの人に力を与えた。
8・1~8・8
福島県浪江町の児童20名と鹿児島県霧島市にてサマーキャンプ。
8・11
4月に訪れた岩手県山田町に再び行く。三県が同時刻に合同で慰霊花火大会を行なう。
瓦礫がかなり撤去され、住宅地跡地からは一斉に青々と雑草が生い茂り目の前の緑の平野は、初めて見たあの日の山田町から 復興の匂いを感じた。
牡蠣の養殖が復活した山田湾から上がる花火は見事な大輪を咲かせ、涙と共に胸が震えた。
12・31
石巻市門脇小学校跡地。NHK紅白収録。
厳寒の中、地元の人たちの応援が有難かった。
2012・2・18~19
岩手県、陸前高田、大槌町、気仙沼を訪ねる。
大槌町役場の中村課長さんと10ヶ月ぶりの再会。物資を届た震災直後のまるで戦場のような緊迫感漂う仮役場の中での初対面がよみがえる。
だいぶ落ち着いた状況になった事を聞き安心する。
一年間を通して各地で見てきた被災地での現状、そしてボランティアを通しての実体験は本当に多くの事を学ばせてくれました。
瓦礫汚泥撤去の凄さは言葉では言い表せません!しかし数時間で見事に片付ける人間力の凄さもまた痛烈にまざまざと体感し感銘を受けました。
東北には「人間の目は臆病だけど人間の手は強い」という言い伝えがあるそうです。
まさに人間の力の結集には凄まじいものを感じました!
かけがえの無い命が、形ある物が一瞬にして目の前から消され、流される。
どんなに辛くてもそれでも残るのは、真正面から生きる命と、連帯や絆に見る真の思いやりの心、そして積み重ねた思い出、そういう無形のものが何事にも代えられない一番大事なもの、前に進ませてくれるものだと思いました。
それこそが明日への力になることを痛烈に感じたのでした。
この一年私は私自身の価値観を改めて考える沢山のものをこの目で見させて貰ったのでした。
最後に私が被災地で見た、「負けない!力強い!この植物の息吹!」を見て下さい。
くしくも昨日で丁度丸一年を迎えました。 犠牲になった多くの方達のご冥福を心からお祈り申し上げます。 と共に、だからこそ今、日本が大きく変わらなければいけない岐路に立たされている事を深く実感しています。
2011・3・12 長渕 悦子