我が家的慶事を挟んでしまったのでこのことが遅くなったのだけど、、
時を戻してもよいかな。
熱戦が繰り広げられたパラを見ながら、沸き上がる感動を押さえずにはいられなかった。今年は母国開催ということもあり放送量も報道量も前回の比ではないぐらい加熱していた。おかげで連日連夜、その姿には強い心をもらった。と、同時にそれと同じくらい、、
これじゃいけないとモヤモヤがずっとあった。
わたしはオリの開会式も閉会式もオンタイムではしっかり見れていない。
パラの開会式もだった。見れていない。
が、そのパラの開会式の評判が物凄く良かつたことは至るところで言われていたので知っている。これを望んでいたんですよ!と、うちの嶺ちゃんも感動しまくっていた。
そんなわたしだが9月6日の閉会式はしっかり見れた。
国際パラリンピック委員会の会長アンドリュー・パーソンズ氏という人のスピーチが同時通訳で流れて来ていた。全く同時に言語を選び、日本語に変換し、伝える技術にも感心させられたが、彼の熱い言葉の数々にも感動した。
特に、、
その中の一言がずっとわたしの中にあったモヤモヤを言い当ててるような気がして、胸を刺した。
賢明なアスリートのことばを引用して
ーー障害を持つ人が、あっと言わせるような特別なことをしなくても、世の中が開かれますようにーーというような言葉だった。
そうだと思う。
そうでなければいけないと思う。全世界の人口の一割は障害がある人たちであるとも言っていた。はっとした瞬間だった。
母国開催はコロナ禍において本当にギリギリまで賛否両論の渦の中にあった。だが、開催されたことに意義を見いださないといけない。そして次にするべきことを考えないといけない。
パラの、世界が世に問うたものはとてつもなく大きいと感じた。
確実にわたしが生まれたころの時代とは違う。あの昭和30年代とは全く違う。
10年後20年後、さらにきっと大きく変わっていくことを確信する。多様性という言葉が日常語となり、わたしたちを分断する障壁をうち壊す時が来ているように感じる。
胸を熱くした向こうに感じたもの。ほんとに大きい。
5 件のコメント
東京開催ということで注目されたけど一過性で終わらせてはいけませんね。
それにしても多様性とか人権とか言いながら民放がほとんど中継しないのはやはりおかしいと思います。
今回は少しだけ中継したけどリオは全く中継しませんでした。
次回のパリはまた中継無くなりそうで心配です。リオも東京もオリンピックと同じように中継したNHKには敬意を表します。
パラリンピックで熱く感動させてもらい、パラアスリートの方々と距離が縮まった気にさせてもらえたのですが、この記事でその向こうの現実にも気づかせて貰いました。
多様性という言葉が出てきた事、すごく良いと思います。障害者という言い方にも少し違和感を感じているので、何か違った言い方は無いかなぁとパラリンピックを見ていて考えていました。
お互いを認め合って受け入れ合う、理解し合える社会になっていくといいなぁと思います。
まずは自分から☺️
失礼しました💧