神様がくれた最大の愛とは。
思い出がひとつだけ
頭をめぐる。
わたしがデビューして間もない10代の終わりのころ、ひとつの写真撮影がありました。
ロケバスがわたしのうちを経由して、わたしとうちのスタッフを拾い、次に向かったのは皇居の近くだったような、、それもすごく曖昧なのだけど、、そこで長髪、長身のまばゆいほどに輝く一人の青年が乗り込んできた。もちろん、わたしはその青年に会うのは初めてだったから、ロケバスの中で挨拶を交わしたように思う。すぐそのあとをマネージャーらしき人が入ってきた。カメラマンも入れて総勢10名ぐらいのロケバスが向かった先は湘南、葉山マリーナ。衣装に着替えメイクをし、マリーナに停泊している白いヨットの上に乗りこんだ。風が爽やかだった。
たぶん、今ぐらいの初夏の季節だったように思われる。当時、ホットパンツと呼ばれる白い短い、、いわゆるショートパンツをわたしは、はいている。その記憶はしっかりだ。あのころ、訓練するたびにわたしの太ももは太くなり文字通りの″太もも″になっているのにショートパンツだなんて、嫌だなと思ったからだ。カメラマンの合図のもとに写真撮影が始まった。その脚の長い長身の青年と肩を並べてポーズを取った。
人はいつかは死ぬ。これは避けられない現実であり、生まれたからにはいつかだれもが死を迎える。生まれるてくることも選べないし、死ぬことも選べない。それこそが神のみぞ知る、、、わたしは小さい頃から死ぬということが怖かった。いつかはこの体もこの心も思考も、なにもかもが無くなる日がくるのだと思うと心臓がばくばくと音を立てて動悸というものを起こさせた。現役のころも。結婚してからも。ときどき、不意にそのことを考えるとものすごい動悸が起きた。
今はどうだろう?まだまだやりたいことはたくさんあるけれど、昔ほど死に対して怖くなくなっている。でもできるなら、長生きはしたい。それはだれもが願うこと。でも、前になんかの本で読んだ。神様が人間に与えた最大の愛は″死ぬこと″なんだと。
永遠に生きることではなく、死ぬことなのだと。
葉山マリーナのヨットの上での写真撮影は順調にいき、時間はかからなかった。
二人並んでカメラに向かってポーズを取る。撮影はカメラマンの手際良さもあり、とんとんと進んだ。
わたしの隣に立つ青年はわたしがデビューした当時にはすでにスターだった。まばゆいオーラは当然だった。燦然と輝くスポットライトの下で情熱的に全身で歌う姿は日本全国に知れ渡っていた。
しかし初対面だからといって緊張したかというとそんな記憶はなく、むしろ楽しく、″らく″に終わったのは、その青年がわたしと″同い年″だったからなのかもしれない。しかもわたしは岡山、彼は、広島の出身だった。
あとにも先にも、それ以後、お会いすることもすれ違う場面もなかったから、いま、わたしの記憶にはその葉山マリーナひとつだけ。当時と同じ爽やかな風が吹き抜ける。
いまでは廃刊となった『週間明星』の表紙撮影のひとこまです。
全国を駆け巡った訃報。
テレビから写し出される若き青年の情熱的な歌声と、全身を揺らして熱唱する姿は、今も燦然と輝いている。病に倒れてもなお、全身で挑んだ姿は心から拍手を送るべきものであり、果敢に挑む姿は多くの人の胸を熱くさせた。自然と手を合わせたくなる。
同い年のかたが逝ってしまうことに、わたしは抵抗する。許容できない。寂しすぎる。。ひとつの青春をともに駆け抜けた、同世代に対して万感の思いがあるのも事実です。
こころからご冥福を祈りたい。祈らずにはいられない。
26 件のコメント
1日1日を大切に過ごして生きたいと思います。
今ある命を、思い切り燃やそうと思いました。
ただ、ただ、素直に。
私の母が秀樹さんのファンで、ディナーショー、コンサートに足を運んでいました。
最近のコンサートに行っても「身体は大変そうだけど、秀樹はやっぱりものすごくカッコいい!」と言っていました。
自らの運命を受け入れて懸命に生きる…
死ぬことが約束されているから出来ることですね。
情熱的に死ぬ為に、情熱的に生きていきたいです。
堂々と胸を張って懸命に生きた秀樹さん、
お子さん達の心に永遠に生き続けてくれると思います。
神様が人間に与えた最大の愛なんですね。
この言葉をしっかり心に刻んで、辛いとき、哀しいときに、少しでも元気になれるよう思い出します。
しかし、若すぎますよね。哀悼。
こんばんは
神様が人間に与えた最大の愛
momoが虹の橋に旅立ったとき
無償の愛ってこと教えてもらいました
そして母にも
私は結婚もしてないし子供もいなく
無償の愛って自分が与えて貰ってばかりで
正直判りませんでした
死がなければ判らない事でした
全て私から何もかも奪ってかまわないから
剛さんの詩…そんな気持ちでした
秀樹さん若すぎです
ご冥福をお祈りします。
葉山マリーナへ。思い出と新たな青春を味わいにまたきてくださいね!!
幼稚園の頃YMCAで踊っていたので、何となく身近に感じておりました。携帯電話のニュース速報を見て驚きでした。
神様が与えた最大の愛が死ぬ事とは…
確かに生き続ける事よりはいいような気はします。
でも自然災害での突然の別れほどでは辛いものはないです。
いつかやって来るであろう別れに悔いのない人生を歩んで生きたいです!
人は生まれた時にその人の寿命を神様が決めてると聞いた事があります。
病や不慮の事故、事件で命を落とす人、命を繋げる人。
家族同様の親戚のお孫さんが6年前、1歳5ヶ月で天に召されたのです、急病で5月5日の子供の日の朝。
連絡受けた時は座り込んでしまい、何で何でと叫んでいました。
そして3年前から、私の誕生日が友の命日になった事。
これも神様が決めた事なのでしょうか。
凄い人気で、カッコイイ秀樹でした。
カッコ良く、スターとして出て
カッコ良く、逝ってしまうって
悲しいだすが、秀樹はカッコイイ
スターですね。
両親がつけてくれたんですよね・・・・
アイドルという姿を隠すことなく病と向き合う姿をさらけ出してでも歌う秀樹
永遠のヤングマンでしたね
残念ですね。
でも秀樹さんは、精一杯生き切ったのだと思います。
ご冥福をお祈り致します。
ありのままの姿を見せながら
それでもステージに立って歌を届ける姿。
同じ脳の病を持つ身には、すごい勇気の人であり
すごい愛の人でもありました。
同じ時代に生きた人間として
秀樹さんの生き方から学んだことは多くあります。
ご冥福を祈ります。
死ぬ事!!
深く深くこころに刺さる
言葉です(´>_<`)
ホントにそうかもしれないですね(・_・;)
秀樹さんの懸命に生きる姿は
素晴らしいものでしたね(๑¯ω¯๑)
自分の姿をさらけ出してでも
やるしかない!!っていう
あの強い精神力…
心の底から応援していたのに
急な訃報に驚きました(¯―¯٥)
残念な思いでいっぱいです(๑¯ω¯๑)
ご冥福をお祈りします!
死ぬ事が最大の愛
その言葉を胸に抱き
懸命に生きていこうと思います(・.・;)
今日は、お天気スッキリ青空、風も少し冷んやりです
でも近頃寂しくなる、ニュースを耳にしますね。
年齢重ねると、どうしても( 死 )をかんがえますよね
生、誕生の時点で見えないレールは、引かれてその上を
走ってるのですが、( 死)を見つめる状況でないと
平々凡々の毎日を、送ってるのとおもいます。
でも、何か非情な寂しさ感じます。
でも明日があると、思うから、今日1日大切に生きなければ、今日1日ある事を、感謝です
秀樹さん、、、、安らかに、、、、合掌です。
悦子様
私も彼の大ファンで、
ファンクラブ入ってました。
当時、ラジオ番組があって毎週聴いていたし、
レコードもほとんど持っています。
病気療養中の旅行でご家族と一緒の様子を撮った映像で
お子様が、「死なないで」って
おっしゃっていたのに・・・
残念ですね。
ご冥福をお祈りします。
同じように、死について考えると怖い時期がありました。
ただ、従兄弟が若くして2人亡くなったりした少年期、
魂のこもった音楽のおかげで、考えが変わりました。
亡くなった彼らの分を生きると決めた!
それが実行できているのか?
漠然とした死への怖さが、なかなか上手くいかない、生き方に対する怖さへ変わりました。
自分の場合は、音楽に人生観を変えてもらいました。
同じように秀樹さんから力を頂いた方々は多いと思います。
ご冥福をお祈りしますと共に、これからもファンの方々の心に残り続け、力を与え続けて下さることを祈ります。
今日は娘の18歳の誕生日です。毎年、出産した日の事を思い出し、大変だった子育て、そして輝く未来に思いを馳せる1日です。
とにかく健康で、自分の思う道を進んでいってほしいと願う母です(^^)
初めて憧れたスターでした。
訃報に絶句し、懐かしい映像、病と闘っていた映像が流れる度に涙しています。
えっちゃんとそんなエピソードがあったとは…
西城秀樹さんのご冥福を心からお祈りしたいと思います。
力強い歌声、数々の素晴らしい歌声をありがとうございました!
愛していた世代です。
驚きました。そして何とも言えない
感情が沸きました。
同い年の訃報はきついです。
でも御病気をされてからの
情熱的な活動には頭が下がりました。
いつまでもスター、アイドルとして
忘れたくないです。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌
毎日仕事に終われての日々
職場の夜勤の介護施設での朝
利用者様方とテレビを観ていたら
西城さんの訃報!
利用者様は
あら!亡くなったんだね
大変だったね
と
訃報の文字は利用者様にとっては
明日は私!
に繋がってしまうのでしょ
大きい病気したのよね!と
声を掛けさせて頂きます。
私も看取りの介護を経験させて頂きました
長渕剛さん唄にガンジスという唄に
あなたのように強く死ぬまで生きようと
灯火が消えるまで
弱くではなく
最後の最後まで
人とは力強く生きて行くのですね
そしてふっと息を吹き
また、旅を続けるのでしょか
そんな事を思いながら
仕事に追われながらの日々を
走馬灯のように
わたしが小学生の頃に
テレビの画面から白いホットパンツ姿の
志穂美悦子さんの面影を想い出し
生きています
私もそんな年代になってしまったのでしょか
素敵な想い出は永遠ですものもね
志穂美悦子様
お身体ご自愛ください
その雑誌の表紙、後々にですが、見たことあります。
爽やかで、好きな表紙の1つです。
新御三家全盛時、小さい頃、秀樹派でした。
同い年の著名人の訃報、他にもいらっしゃいますが、早いですよね。
ご冥福をお祈り致します。