昨年、わたしは鹿児島で
こんな
″流木のようなもの″を使って、花を生けた。


また、夏にも
同じく″こんな流木のようなもの″を使って
こんなものを作ってみたりもした。

ともに、この木を、わたしはたいへん、気に入っている。
しかし、わたしはずっと、この″流木のようなもの″が、不思議でならなかった。
流木ではない、、、
去年だが、市場でこの鹿の角のような木を見つけた。
それが売られていた。
それは流木と呼ぶには、、なんか違う。。
流木とは台風や土砂崩れで倒木したものが何日も流され、海岸やダムに河川敷に流れついたものだ。長い漂流の末に打ち上げられた流木は、その先端はほとんど丸い。
何かにぶつかり、削られ、尖った枝すら、丸くなる。しかも海で見つけたものはほとんどが白く漂白され、長い年月が感じられる。津久井湖のダムで見た流木は、台風直後のものだったから、まだ、色こそ茶色だったが、それでも先端はかなりえぐり取れ、丸くなっていた。
ところがこの″流木のようなもの″は、まるで鹿の角だ!危ないぐらいに尖っている。
でも生木ではない。とうに枯れている。
だとしたら、これはいったい、何なのだろうか。
そんな謎がずーっとあった。
☆☆☆☆
さらに
奥深く歩いていく!


と!!
飛び込んできた、目の前の光景!




わたしは20年ぐらい前、屋久島の樹齢何千年とも言われる屋久杉も登って見た。頂上に昇るまでにもほんとにたくさんのそびえ立つ巨木を見た。その巨木の神々しさに鳥肌が立ったのをはっきりと覚えている。
しかし、これは初めてだった!!この光景は初めだった!
威風堂々の巨木が
倒れているのを
見るのは生まれて初めてだった!
それは
まるで恐竜になぎ倒されたジュラシックパークのようだった。
13 件のコメント
作品の木が「生きている木」に見えます。ほんとに息吹きを吹き込んだみたい。
ひとりひとりの花や木と対話して、どうしつて?が生まれたら追求して、ひとりひとりにとってどうか、絡み合うこの人達みんなにとってどうか、みたいに考えていくのですか?
作品て創造であり思考なんですかね。
妄想してしまったが。。。知りたい。
自然の成せる技ですね!
私達のように決まったとおりの栽培方法で咲かせた花とは違って、自然の中で生きて倒された荒々しさを感じますね!!
だから心をうつものがあるのでしょう(^^)
悦子さんが再び命を吹き込んで蘇るんですね!!
お花を愛されてるから
綺麗に生けられるの
でしょう。
自分もお花を生けた事が
あります。
悦子さん。無理しないで
がんぱってください。
森の、山の、“主”は訪れる者を黙らせますね。
すごい!!!
私も樹が大好きで 自分に元気がなくなると抱きつきたくなるくらいです(笑) この写真本当すごいなあ
盆栽で、白いものがありますが、
それの巨大なものなのかな?
自然って凄いですね。
素敵な場所ですね。
巨木は、なお生きて変化して生き続けている。
私も巨木が倒れた所なんて、見たことないけど
悦子さんの写真を見て、衝撃を受けました。
これが巡り巡って悦子さんの元へ、そして鹿児島のライブで見せてもらった私たちが見る事に。
迫力が有り素晴らしかったな。
それを考えたら、時空を超えて巨木を見た不思議な感覚になりました。
年月経っても尖った木々、倒れた巨木の圧倒的な存在感。
「死してなお生きる」といった、自然の大きな力を感じました‼
まだまだ頑張れそうな力が沸いてきますね。
でもこれ程巨木ではなく、台風や雷にやられたであろうと思う
この巨木は老齢なのかな?
倒木再生
倒れた木に苔が生えて、そこに新しい生命が生まれる
自然の営みに感動します。
夏、秋、冬・・・心が揺さぶられたのは、自然をも味方に私たちに思いを伝えてくださる悦子さんのパワーに、神やどる木々が引き寄せられたのてすね。
神秘・・・ですね。
流木「のようなもの」なんですね。
志穂美悦子さんです。
今も恋愛中です。
頑張ってください。